小さい石
小さい石
先だって、高山右近の遺跡をめぐる巡礼で、高槻を訪ねました。右近は信長・秀吉に仕えたキリシタン大名で、すぐれた武将でもあり、利休七哲にかぞえられる茶人でもありました。秀吉のバテレン追放令によって領地を返上し、また、徳川幕府のキリシタン禁教令による国外追放にも屈せず、家族とともに信仰を守りとおし、1614年、追放の地、フィリッピンのマニラで亡くなりました。
1573年、右近は21歳のとき、高槻城主となり、12年間、「人はみな平等」という福音の精神でよい政治をおこない、多くの人々をキリスト教に導きました。高槻城址からは、十字架のついた石や、右近時代のキリシタン墓地が発掘され、木棺からはロザリオもみつかりました。
数おおくはない遺跡をめぐり、そこはかとなく城下町の風情をかんじさせる石壁の道を好ましく感じながら歩いているとき、グループの1人の男性が、「お城の石垣は、築くとき、大きい石ばかりを並べると、互いに喧嘩して、かえって弱くなってしまう。小さい石をてきとうに置いて、小さい石が大きい石を支えるようにするのだ。小さい石は小さいことを恥じる必要はまったくない。これは力学的にも実証されていることだ」と、いいました。
右近が亡くなってから、300年の月日をへて、茨木千提寺に隠れキリシタンの里が見つかり、キリシタンの遺物が続々と発見されました。教会は今、右近の信仰をたたえ、「福者」として、その模範のならうようにと私たちを励ましてくれています。千提寺の隠れキリシタンの人々は右近を支えた「小さな石」であったに違いないと思うのです。