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探しもの

シスタージョアンナ徐

今、持ってきた書類が見つからないのです。ハンドバッグに入れたはずの鍵がないのです。そして定期も見つかりません。ちょうど雨が降りそうだったので先ほどバッグに入れておいた雨傘を取り出そうとしましたが見つかりません。玄関と部屋を2・3回往復し、それだけでどっと疲れを感じ、外出するのが億劫になってしまいました。

最近そのようなことが頻繁に起こってきました。 バスの中で一呼吸しながら、ゆっくりハンドバッグの中を探しましたら、その中にみんな入っていたのです。自分勝手に「ない」と思い込み、心の平静さを失っていたため、見えるはずのものが見えなくなっていたのです。

ところで、救いの神秘を祝い、喜びをもって復活節を過ごしていますが、日常的な探し物をしている中でふと、私が本当に探し求めなければならないものは何かに気づかされることがありました。

私はこれまで、一番大切なものを本当に探していただろうか、また、不必要なものに執着し、本質を見極める洞察力を失っているのではないかということです。「あるはず」と断定するのではなく、何を「大切さ」の基準にし、どのような心の姿勢で探しているかと自分に問いかけました。まず、心の平静さを保ちながら、ゆとりをもって物事に臨み、それを複雑にしないことから始めようと思いました。その事柄の渦中にあるときは「探し物自体」が何であるかさえ見えなくなってしまいますから。

聖書は感動的な復活の朝の光景(ヨハネ20章11節~18節・ルカ24章1節―8節)をわたしたちに告げています。マグダラのマリアと魂の師、イエスとの愛深い出会いです。
週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って友人とともに彼女は墓に急ぎました。見ると石は墓の脇に転がしてあり、中に入ってもイエスの遺体が見つからないのです。心が動揺し、この悲しい事態に対処する判断力がなくなっていました。やがて、庭師と彼女との問答が進行する中でイエスの方から、彼女が理解できる親しいサインを送られます。見えなくなった心の扉にそっと触れてくださる神の優しさに彼女は庭師がイエスだと即座に気づきました。イエスのなさり方の新鮮さと深さやあたたかさがジーンと伝わってきます。次第に自分を取り戻していく彼女に共感をおぼえます。

復活の続唱を反芻しながら、捜し求めるものの本質を見失うことがないよう、日常のできごとに、真摯な姿勢で臨みたいと思いました。