雑踏のなかで その三
修道院に入る前のことです。ホームで電車を待っていました。
背後に鋭い視線を感じて振り向きました。するとベンチに掛けているやせたお年寄りの男性の視線とぶっつかりました。髪を後ろに梳いて、目は鋭く大きく見開き、やせた顔の中でその目は、鷲か鷹を思わせました。「あ、川端康成‥‥」と思って軽く会釈をしました。川端康成が同じ街に住んでいることは知っていました。
あのように鋭い視線で人を眺めることがあるのに驚きました。
心の底まで見通そうとする目 知らない人をあのようにじっと見つめることは 少なくとも自分の生活のなかでは無いように思います。
文学者の透徹した目は、それに接する者を一瞬 怯ませるようです。
カーテンで隔てた隣のベットで、死に逝く少年とその家族の様子を克明に脳裏に刻み込もうとする自分の姿に「作家の心には一片の氷がある」と言ったのはグリアム グリーンです。
32歳で亡くなった愛妻の「刻々と変わり行く死顔の表情と色彩に絵筆を執らずにはいられなかった」とその姿をキャンパスに留めたモネ。なにかに取り憑かれたように夢中になっている人の姿なのでしょう。
「以前 私にとって有利であった事柄を、キリストのゆえに損失と思うようになりました。それどころか、私は主キリスト・イエスを知ることの素晴らしさのゆえにすべては損失だと思っているのです。私はキリストのゆえに全てを失いましたがそれらは塵芥にすぎなかったと思っています」 聖パウロのフィリッピの人々への手紙より
「正しい人のためであっても、人は容易に死なないものです。善い人のためならあるいは進んで死ぬ人がいるかもしれません。しかし、私達がまだ罪人であったとき、キリストは私達のために死んでくださったことによって、神は私達に対するご自分の愛をお示しになったのです」 聖パウロのローマ人への手紙より
狂わしい思いは、さまざまな形であらわれます。
何に狂わしい思いになるかが問われるのでしょう。