「故なく」
「故なく」
「故なく(理由もなく)」という言葉は否定的な意味合いで使われることが多いと思いますが、何年かまえに、ノートルダム小学校6年生の修養会で、西神父さまがこの「故なく」という言葉をつかって「愛とはどういうものか」について話されたことが心に残っています。
校長の西神父さまが、いつも熱心に生徒たちを指導なさる先生方にお礼を言うと、先生方は「給料をいただいているのですから、当然のことです」と答えられるのですが、西神父さまは先生方がひたすら心をこめて一生懸命に子供たちを指導なさることをありがたく思い、また、そこに先生方の子供たちにたいする「愛」があるのだと話されました。
先日、「いつでもコール」に電話して、高麗美術館の電話番号を教えていただきました。交換手の方は電話番号を教えてくださったあと、「月曜日が休館日です」と付け加えてくださいました。ただ質問に答えるだけでなく、ひとこと付け加えてくださったこの親切に心が暖かくなりました。
思えば、私たちは「故なく(理由もなく)」日々いただいているこのような愛によって生かされているのだと思います。そして、イエス様こそ、そうしてくださったこと、福音史家ヨハネの「神は愛である…愛のあるところに神はおられる」という言葉が、すこし深く理解できたと思ったのでした。