「成長する」ということ
先週末実家に母を見舞いました。2月はじめに会ってから丁度1ヶ月です。甥は先月も子どもたちと会いに来ましたが、今回も家族揃って来てくれました。下の娘は丁度11ヶ月になります。先月は私にもニコニコと抱かれてくれた子が、今回はママの脚の陰からこっそりこちらを窺い、笑いかけるとサッと隠れます。近づいて行くと這い這いで逃げる、その逃げ足のはやいこと!先月はぽっちゃりと丸顔だったのに、いつの間にかすっかり引き締まった顔立ちになっていました。赤ん坊は1ヶ月でこんなにも成長するのですね。
95歳の母はといえば、先月は退院したばかりで立ち上がるにも人手が要りましたが、今回は何とか手すりに摑まって自力で立ち上がるまでになっていました。週に1回来宅くださるリハビリの先生には、何とか早く終わっていただこうと「どうも有難うございました。」を連発して困らせていますが、初めてのデイケア体験は結構楽しんでいるようです。95歳なりの成長なのでしょうか。でも、確か先月は一緒に祈ったとき、祈りの言葉や聖歌の歌詞が自然に出ていたのに、今回は私の口元を見ながら私について口を動かしているようでした。言葉を忘れ始めているのでしょうか。
1ヶ月間の2人の変化に触れ、子どもの成長も、高齢者の成長も、結局は神さまに近づく歩みなのではないかとつくづく考えさせられました。