習い事 ( お稽古 )
小学4年生の時、放課後のクラブ活動の一つとして生け花を習い始めました。
小さいころから母が花を育て、家庭祭壇に花を活ける姿を見て育ったためでしょうか、花への関心はひと際強かったのでした。花ばさみ、新聞紙、剣山そして生けた花を持ち帰るための包装紙をいつも鞄に入れていました。
最初に習った時の花材は矢車草、ダリア,百日草、鳳仙花そしてナナカマドでした。まず正座して先生がいける手先を追いながら説明と注意事項をノートに書き込むのです。先生がいけ終わった後、その花を写生するように言われました。メモすることや写生する習慣は後年、造花を習った時も大変役に立ったものです。古びて継ぎはぎだらけの「お花ノート」は、今もなお、身近に置き、時々、このノートを紐解く私に初心にかえることの大切さを教えてくれています。
ところで、ダリアは初心者の私には親しみやすく生け易い花材の一つでした。それに比べ、ナナカマドは枝ぶりは良いのですが、思うようにいけることができず、泣きべそをかきながら先生の助けを受けたことが思い出されます。先生の手にかかると、どんな花や枝も花瓶に形よくおさまるのです。また、花ばさみの扱い方、しまい方、花瓶や剣山の取り扱い、生けた花の毎日の手入れ、枯れた花の始末など、何一つ聞き漏らすまいとその教えに耳を傾けたものです。これら一つひとつが目新しく貴重に思えました。たとえ枯れた花を始末する場合にも、その花に感謝の心を失わず、恭しく処理するよう教わったことが印象的でした。
週に一度の習い事ではありましたが、放課後、友人たちと膝を並べ、好きな花に向かう時、花々に触れる「幸せ」を実感しました。また、次週の花材や、花の名前をあてっこすることも楽しく、部活が待ち遠しく思われました。中学時代になってからも「習い事」は続き、私の心を豊かにしてくれました。