雪柳に魅せられて
雪柳が咲く頃はいつでも、小学三年生の時の記憶が感謝のうちに蘇ってきます。
新しい季節を迎えるごとに記憶の宝石箱からたくさんの出来事がこぼれ落ちてくるのを感じ幸せが広がってきます。それだけ年を重ねたせいでしょうか。
雪柳にまつわる出来事を分かち合いましょう。それは私の初聖体についてです。準備に余念のない姉と私。今も母親のように兄弟妹を温かく包んでくれる姉は私の人生と深く関わってくれています。初聖体( First Communion )は カトリック教徒として貴重な出来事の一つです。 生まれて初めて聖体を拝領する私を励まし、教理その他、準備の段階から長期にわたって姉が沢山のことを教えてくれました。 彼女は私たち兄弟妹の相談相手であり、励ましと勇気そして祈りを絶え間なく送ってくれる魂の「師」でもあります。
初聖体当日、後方に大きなリボンのある純白のワンピースに身を包んだ私は、もう一人の友人と席に着きました。後でわかったのですが雪柳の花冠をドイツ人の神父様が作ってくださり、戦後の物資に事欠く時期でしたけれども高価なチュールのベールもプレゼントしてくださいました。 このベールを被り、その上に雪柳の花冠をつけた私は姫君! 今も当日の喜びが記憶から薄れることなく年を重ねるにつれ強烈な感動をもって私の魂にせまってきます。
聖なるミサのクライマックスである聖体拝領が始まります。両手を合わせ緊張しながらイエスをいただき席に戻る私を素敵な新婚の若奥様が「まるでイエスの花嫁さん」とささやいているのを耳にしました。 また、ミサが終了し、信者の皆さんが「おめでとう」の言葉を連発するのを聴きました。 この出来事が小さな少女の魂に刻まれ、生涯、「私はイエスの花嫁さん」と決心する大切な動機づけを与えてくれたのでした。私にとって「イエスの花嫁さん」と言う言葉は青春を豊かにし、往く道を照らす灯となりました。 言葉はそれほどまでに人を揺り動かす大きなエネルギーとなるのを感じ、ひと言の意味の重さと責任を感じます。今も雪柳はイエスと私を結びつける大切な聖なる花として位置つけられています。
自分が今あるのは、愛する家族の絆と優しさ、修道家族そして信徒の皆さんの励ましです。
イエスと雪柳に乾杯!