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十字架像

シスター ルース 森

十字架像
  カトリック教会の聖堂には、十字架にかけられたキリストのご像があります。思えば、私は、洗礼をうけてから今まで、このキリストのお姿をじっと見つめることができませんでした。あまりにもむごく感じられるからです。
  最近、カルメル会の中川神父様が「福音宣教」7・8号に書いておられる「存在の根を探して」という記事のなかで、青年時代に、「神の子であるお方が、私たちの罪をあがなうためには、一滴の血を流されるだけでも十分ではなかったか。これほどまでに苦しまれる必要がどこにあったのか」、と、主任司祭にたずねたところ、かれは、すこし考えたあと、なかば独り言のように、「人の人生にはどちらにしても苦しみがあります。そして、苦しみの中で人は孤独に陥ってしまいます。神は私たちが苦しむとき、私たちを独りにしておきたくなかったのでしょう。」と言われたことから、「私たちが苦しみに陥るとき、私たちを独りにしておきたくなかった神の思いを思いめぐらし始めた。」と書いておられます。
  人の苦しみは、一人ひとりのもので、他の人が完全に理解することも、完全に理解されることもできません。人にできることは、共にいることだけでしょう。キリストの十字架像は、限界と孤独を生きる私たちを完全に理解し、共にいて、私たちの存在を根底から支えてくださっている神のお姿なのでしょう。