イースターを目前にして ~予期せぬ出来事~
一昨年の4月20日(聖土曜日、復活徹夜祭)の夜、11時過ぎのことです。一人の女性から電話を受けました。
彼女は泣きながら必死に何か緊急のことを知らせたいようなのです。いっこうに要領を得ることができませんでした。しばらくして私は「どちら様ですか」と問いかけました。号泣しながら「お姉ちゃんが」と言って妹が泣きじゃくるのです。心臓が早鐘のように打ち、その時、咄嗟に我が家に異変が起きたことに気づきました。
妹は少し落ち着きを取り戻し、状況を説明してくれました。私たち兄弟妹の長で母のように慕い尊敬していた総領娘の姉のことだったのです。夕方6時半ごろ、姉と妹は明日の復活祭のイヴェントについて分かち合い、ひと時を楽しんでいたようです。その数時間後、姉は神様に呼ばれたのでした。
この予期せぬ訃報を受け、何をどうしてよいかわからず手が震え、のどが異様に渇き落ち着くことができません。寝耳に水とはこういうことなのでしょうか。キリスト者にとって本当に長かった日々(四旬節)でしたが、間もなく「アレルヤ」が高らかに響くのです。そして電話や手紙・メールでその歓びが伝えられます。しかし、今回に限って我が家は「歓びのイースターではなく訃報」が届いてしまったのでした。
今もなお,送る相手がいなくなった姉宛ての空の封筒を見つめながら「後で」ではなく、「思つたとき、直ぐに行動を」を心に銘記しています。『愛は待つことができない』と常々強調された本会の創立者福者、マザーテレジアの言葉が心に響いてきます。「出会い、約束、時間その他多くの必要に今すぐ」を誠実に実行しなければ……予期せぬ出来事が起こる前に……。
アレルヤ、アレルヤ。私は復活であり、命である。
わたしを信じる者は死んでも生きる。アレルヤ!
ヨハネ福音 11章25節