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神の葦笛

シスターアン・ミリアム木村

 待降節が始まると、きまって開く古びた本。それは、1944年、ニューヨークで発行された
 Caryll Houselander 著「THE REED OF GOD」です。

 その本の最初の項目は、Emptiness(空―からっぽ、何もない)そして、私はこの何年か、そこで止まってしまいます。先に進めないままに日が経っていきます。聖母マリアについての美しく、深い著述が展開していきますのに。

「Emptiness でも、これは形もなく、特別の目的をもたないものではなく、むしろ、然るべき意向、目的の形を備えています。

 Emptiness、それは例えば、葦という植物の、細い、割れ目の無い空洞が備えているEmptinessで、葦笛を吹く人の息だけを受け入れて響かせ、吹く人の心の歌を奏でるという、只一つの運命を負ってそこにあるもの、と言えばお分かりになるでしょうか。それはまた、水やワインを注がれるための丸みを帯びた形のカップの空洞、雛を受けて温かく包み込む優しい巣の空洞といえるでしょうか。

 乙女マリアが保っていた清純さのEmptinessは、<神の葦笛>となるべきものとしてのEmptinessでした。マリアは「神の葦笛」でした。神の霊の息吹が吹きこまれて、神の愛の歌が響くのです。・・・・」
(著述の内容の一部)

 私の中のEmptinessが、聖母マリアのそれに、もう少し近づくことができたら、もっと明確に神様の霊の響きが大きく感じられますのに。私の中に神様の息を感じていたら、神様の愛しておいでになる小さな人々の息遣いも、もっとよくわかるはずですのに。私の中のEmptinessが、今日、ほんの少し、聖母のそれに似たものとなっていたら、もう少し優しく人々の思いを、私の中に受け止めることができますのに。


もうすでに、待降節第三週なのです。

 12月14日

                             シスターアンミリアム木村