「と」と「で」
くも幕下出血の手術の後、右半分の脳に広範囲の脳梗塞を起こし、その結果運動機能の麻痺が生じ左半身は不随となりました。ただベッドに横たわっただけの生活でした。幸い携帯電話が手元にありましたので、何とか他の人と関わりを持てました。そこに友人からメールが入りました。「左手と遊んでね」と。
折れた枯れ木がそのまま固まったままのようなぴくともしない左手を眺めながら左手と遊ぶとはどのようにすることかしらと思いました。視力も衰え、ぼんやりとしか見えない目の前に左手を持ってきて何日も眺めていました。数日経つうちに固まったままの左手がいとおしく感じられるようになりました。
「A「でする」はAを手段方法として遣う事。「Aとする」は、一緒に、仲良くか、競いながらかの違いはあるにしてもそこには関わりがあります。新聞社に勤めていた友人の詩的なセンスに感心しながら固まったままの左手を眺めていました。何日もその塊を眺めさすっているうちにちょっと指が動くのに気づきました。「動いてね」と優しく声をかけながらさすっているとすこしだけ手が柔らかくなったように感じられたから不思議です。今もまだ御茶碗をしっかりとは持てません。以前、自分では全く気づかずに左にあるコップを倒していたこともあります。使ったテッシュをゴミ箱に捨てようとしても手から離れていかない。それが手から離れてゴミ箱に落ちて行った時の嬉しさは忘れられません。看護師さんと一緒に「良かったと喜びあいました。まだまだ時間はかかりそうですが、小さな喜びを体験していくうちに何かがすこしずつ変化していくのではないかと楽しみに
しています。