鹿
修道院の門の外を、鹿が悠々と歩いていました。
門はバス通りから直角に入って10メートル程の所にあります。
鹿はバス通りから入って修道院の前を通っていたのです。
「鹿がいる」と言いましたら一人の人が出てきました。私たちを見た鹿は驚いて隣の修道院の敷地内に入って行きました。そこには大きな木々、竹林などがあり植物の好きな人が色々な花や野菜を植えています。鹿はその中に逃げ込みました。
私たちは、鹿が門から逃げやすいように、後ろに回って徐々に追っていきました。
私たちの声を聞いて、そこの修道院からも人が出てきました。
その人によると、その鹿は鹿の子模様があるのでまだ子鹿ということでした。
私たちに追われた鹿は、きれいな跳び姿を見せながら、門から出ていきました。
三人三様の次の言葉に送られて……。
「バスに轢かれないでね」
「あの鹿を飼いましょうか、飼って庭の草を食べさせましょうか」(草取りが大変なのです)
「あの鹿を食べましょうか」
「鹿はおいしくないそうですよ」などなど。
聖書で牡鹿は人間の魂を象徴し、人間の心に根差す神への憧れを、水(神)を探し求める鹿に譬えています。
「谷川の水を求めて喘ぎさまよう鹿のように、神よ、私はあなたを慕う。
私の心はあなたを求め、神の命に憧れる」 詩編42
「あなた(神)は私たちをあなたに向かうようにお創りになられました。
私たちの心はあなたの内に憩うまで安らぎを得ないからです」アウグスチヌスの言葉
人格的な関わりの中での心の安らぎは、全ての人の深い望みです。
父なる神との深い出会いを祈ります。