花を活ける 下 小宇宙
祭壇に活けられた花は祭儀の美をより一層高め、祈りを深めると言われます。 ローマ在住の間、新しい花たちとの出会いが楽しみでした。夢中になって土曜の一日を聖堂で過ごしました。
毎週、新しい花を祭壇に活けるに先立ち、花々への感謝と惜別の情を表すことを常としてきました。「主のため、兄弟姉妹のために一週間、美しく咲き続けてくれたのね。今日であなたとお別れです。本当に有難う。」と囁きます。彼らが愛おしくなります。
日曜日の聖書のみ言葉を反芻しながら、手と心との会話が始まります。不思議にもどう活けようかとか、より美しく活けようなどとの思いはありません。無心に花々と向き合い、手の動くままに活けるのです。完全な沈黙の中でイエスと私との語らいを花に託して表現するのです。 毎日、この聖堂に集う兄弟姉妹が聖なるミサに預かり、花々との親しい出会いがあれば、心に平和が訪れるのではとの願いを込めて活けます。きっと花々も神への賛美に連座し、ともにある幸せを喜ぶに違いありません。
どの花にもそれぞれ個性があり、その個性が生かされる時、もっとも美しい存在を私たちに表現してくれると思います。たった一本の小さな花や小枝も神への現存を感じさせてくれ、どこに活けられても彼ら固有の美しさが引き立ちます。特に、適材適所に活けられた花々は見事な調和を紡ぎ出し、出会う人々に平和を感じさせてくれます。その花たちは一つの小宇宙・ひとつの共同体を表現しているように思われます。小さな花も小枝もそれぞれふさわしい存在のあり方を精一杯、素直に表現しています。その小さな花一つがそこになかったなら美しい小宇宙は存在しないのです。 そして人も自然も、あるがままでいることが互いにとってどれほど尊いかを再認識させられます。
無心に咲き匂う花たちと何時しか親しく語りあっている自分に気がつきます。「いろいろなことを教えてくれる可憐な花たち、あなたの優しさを心から有難う!来週もまたよろしく。」