一つのサイン
時の経つのも忘れ、家族と楽しく話しあっていた時のことです。
陽が傾きはじめました。母はいそいそと台所に向かっています。私も彼女の料理の秘伝を学ぼうと急いで彼女の後を追いました。母はかなり高齢ですのに私たちのために食事をと台所に立ったのです。彼女の料理の腕は格別で、私たち、そして孫たちにも母の味が引き継がれています。
炊飯器の内釜にお米を直接入れて洗っていた母が、驚いたことに炊飯器にそのお米を流しこんだのです。それを見た途端、私の表情が険しく変わりました。その「時」です。15歳年下の弟が必死に私に一つのサイン、「怒らないで」を発信したのです。私は爆発寸前でした。母はすぐに気づき「ごめん」と謝りました。「母さん、私も時々そうすることがあるの」と言い、何事もなかったように別の鍋でご飯を炊きました。おいしいご飯が炊きあがりました。今もそのときの自分自身の心の動きや光景を思い出すとはっとします。
サインを送ってくれた弟は思いやり深くいつも優しいです。これまでも兄弟姉妹が多い私たちは互いに学びあうチャンスが多く、みんなが会いますと忌憚なく自分の思いや考えを分かち合ったものです。年を重ねる毎に穏やかな出会いが重ねられています。彼らから教えられるとき、謙虚に聞き入るのは容易ではありませんでした。傾聴できるようになるまで何と長い道のりを歩いてきたことでしょう。
あの時、彼からのサインが無かったら私は楽しいはずの夕食を台無しにするところでした。その日の夕食時の感謝の祈りは特別で、私自身、どんなときにも「心の平静さ」を保つことの大切さを心に銘記するきっかけとなりました。