つぶらな瞳
10月下旬の土曜日の朝、サンダバード号に乗車しました。
朝日がまぶしいほどの秋晴れです。自由席の5号車に乗り込んだのですが予想に反して車内は混雑していました。 立っている方も多くいました。やわらかい秋の日差しを受け約1時間半、時には車内で立ったまま秋景色を楽しむのも悪くないと思い、目的地まで立ち席で行くことに決めました。
ちょうど私が立っていた近くの座席には若夫婦と可愛い5歳ほどの男の子、そして生後6か月ほどの坊やが座っていました。小さい坊やが若いお父さんに抱かれ無心に微笑んでいます。「本当に幸せ!」といった感じです。あまりのあどけなさに自然に笑みがこぼれます。この赤ちゃんに魅せられ彼と目が合いました。その時です。若いお父さんが「どうぞ」と言って坊やを抱き上げ、私にその席を譲ってくださったのでした。感謝してその席に着きました。
実を言いますとこの幸せな団欒の雰囲気を壊さないように、その場からそっと離れようとしていた矢先、この「どうぞ」の一言に心が和んだのは言うまでもありません。若いパパとママの心の姿勢に感動しました。 久しぶりに見る一家団欒の光景!自然に無心な赤ちゃんの笑顔に引き込まれ、許可を得てカメラのシャッターを切りました。子供たちの自然な表情には命の輝きが見られ、多くの年輪を重ねてきた私には彼がまぶしく輝いて見えました。
ふと子供を祝福するイエスの温かい視線を感じました。「神の国はこのような者たちのものである。……子供のように神の国を受け入れる人でなければ決してそこに入ることはできない。」
(ルカ18:17-18)
あのつぶらな瞳が曇らないように私たち大人は未来を担う子供たちのために物的、精神的遺産をどのように準備しているでしょうか。若いあのパパとママが描く夢を子供たちが享受できますようにと祈りながら若夫婦一家に別れを告げました。