届いた1通のメール
復活祭も2週目を迎えました。 つい先日、弟から1通のメールを受信しました。
Happy Easter ! ( 主のご復活、おめでとうございます ) の挨拶でした。
私たち家族は毎年、両親や兄弟姉妹へのクリスマス・新年・復活祭の挨拶を欠かすことなく交わしてきました。 両親はこれを家訓として私たちに伝えました。これも家族の絆が保たれるひとつの要因であったかと思われてなりません。 もし、この挨拶が届かなければ、「みんな神の中で生活しているのだろうか、あるいは、彼に、彼女に何かあったのだろうか」と心配するのです。 この伝統は私たち家族の間で今もって綿綿と引き継がれています。
話しは戻りますが、Happy Easterの メールの中で弟は聖金曜日に教会で体験した感動を分かち合ってくれました。その体験を感動できる彼の感性をうれしく思い、イースターの大きな贈り物として感謝しました。
「聖金曜日、十字架崇拝の時に、ある外国の夫婦がいっしょに十字架に
手を添えて頭を下げていました。美しい姿でした」。
これと類似した光景をこれまで、韓国・ローマ・アメリカそして日本でも数多く見て来ました。 この夫婦と心を合わせ、ともにイエスのご受難を心に刻み、イエスのみ跡を慕いながら、日々直面する大小の聖金曜日に身をかがめて臨めますよう祈りに祈りを重ねます。
自分の季節になると、冬の眠りから目覚め、たった2週間ほどの命をひとすじの気持ちで咲き続ける桜、そして今はその美しさを誇示することなく、青葉の準備にいそしむ桜木と、十字架に手を添え、頭を深々と下げキリストに祈る夫婦の姿が心に残る恵みの春を感謝の心で歌います。