信頼
アメリカに滞在していたある日、日本から1通の手紙が届きました。そこに書かれていた1つの言葉が目に入ったとき、私の体に衝撃が走りました。それは「あなたの選択に信頼します。」という言葉でした。それが事実であったかどうかは分かりませんが、自分が信頼されていないと私は思っていたようです。信頼されていると知った今、自分の中に深い安心と自尊の気持ちが生まれたことに気づきました。
最近、NHK教育テレビ「こころの時代 ~宗教・人生~」で、『私にとっての3・11(シリーズ)<ようがす、引ぎ受げだ>』と題して、「ケセン語訳新約聖書」の著者である医師の山浦玄嗣さんが、津波の災害を前にして聖書をどう読むかに答えている番組を見ました。恐ろしい苦悩の中にありながら、主イエスの神への信頼が揺るがなかったように、答えのない問いかけや嘆きの声を上げることなく、人々のために何ができるのか、何をすればよいのかと、懸命に生きている人々と共に、「いいですよ。引き受けました。」と、医師としての自分の務めを果そうとしていると話されました。「信頼」は相互のもので、自分を信頼しておられる神に、何ごとがあっても、自分も信頼すると言われた言葉に心を打たれました。
最後の晩餐の席で、イエスはペトロに、「立ち直ったら兄弟たちを力付けなさい。」と言われました。どこまでも自分に信頼されるイエスに、ペトロは他の弟子たちと共に答えたので、イエスの教えは今に伝わったのだと言えると思います。