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「東日本大震災」を思う。  そのニ

シスターメリー・パトリシア久野

震災直後の新聞記事の中で強く印象に残ったものが二つあります。
一つは、原発関係者の「原発には確かに危険性は残ります。でも、どこかで割り切らなければならないのです」という言葉。
もう一つは、ある方が電力会社運営の「電力館」を見学した時の記事でした。
その時、見学に来ていた小学生が原子力発電の危険性について質問したところ「その時はこれが働くので、大丈夫です」と言う説明だったそうです。その小学生はその説明に納得せず、でもそれが壊れたら?次のそれも壊れたら?と次々に質問してその説明者を怒らせてしまったそうです。説明者の最後の言葉は「そんなことはありません(起こりません)!」と言うことだったそうです。
この二つの記事を見たとき、原発の事故は起こるべくして起こったのだと思いました。
「どこかで割り切る」とはなにかを「切る捨てる」と言うことでしょう。
この方の発言には「切り捨てられる中に自分や自分の愛する人々は含まれてはいない」ように感じました。
何事にも危険は伴います。でも、意図的に人が人を切り捨てた上に築く幸せは、天の望みに反するでしょう。
人間が、自分が、全てを支配できるかのような錯覚‥‥驕りと、他者を顧みない驕りが重なるとき最悪の状況が生じるのは想像に難くありません。

「野の花を見なさい。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなた方に対しては、なおさらのことではないか
だから まず、神の国とそのみ旨を行う生活を求めなさい。」
(マテオ福音書より イエス様の言葉)
私達はなにによって生かされているのか。
どのように生きることを求められているのか。
不要な思い煩いが見えてくるように思います。

神の恵みの中でただ咲いている野の花の美しさ、みずみずしさが、神様のメッセージとして私達の心に染み透りますように。