弁論大会
ずいぶん昔のことになりますが、当時、私が通っていた中学校では弁論大会が流行していました。
恥ずかしがり屋の私は何とかして、それを克服したいとの切実な思いを持っていました。それから解放され、人の前で自由になりたいとの思いでしたが、家族や先生にも言えませんでした。それを克服しなければとの思いは次第に強くなり、自分なりにいくつかの方法を考え出しました。具体的に、人前で朗読すること、英語の暗唱大会や弁論大会の機会を利用したり、クラスの中で、自分の思いを率直に表現するなどといった努力を重ねました。
新しい環境に慣れるに従い、いよいよ行動を起こさなければと自分に言い聞かせたものです。先ずは、公衆の面前に立つことを思いつきました。ちょうど私たちの中学校の掲示板に弁論大会の案内が掲示されました。弁論大会の出場条件として原稿を提出するという難関を突破しなければなりませんでした。弁論大会当日に話す原稿を提出し、それに合格した者だけが、講堂の壇上に立つことができ、弁士として自分の思いを述べることができるのです。毎日遅くまで寝床の中で、構想を練りました。ようやく「余暇の善用」とタイトルを決め、原稿を書き始めました。まるでアナウンサーにでもなった心地で原稿を書いたものです。 原稿を提出し、合否を待ちました。 家族の誰かに知らせるとか相談を持ちかけるでもなく、恥ずかしさを押しての単独行為に出たのです。 中学一年生の私は小さな胸を痛め、今日か明日かと合格通知を手にする機会を待ちました。結果は合格! やったあ! 一人で飛び上がりました。
早速、練習に取り掛かりその日を迎えました。手に汗する思いでした。当日、私は中学三年生の生徒会会長の弁士ぶりに圧倒されました。彼が強調した赤十字創設者アンリ=デュナン(1828-1910)の生き方や在り方に感動したものです。青春の門口に立ち、正義感にあふれていた当時の若者たち! 人類愛の崇高さを物語った時の先輩の弁士振りは本当に圧巻でした。演台を思いっきり数回たたくのです。 本当に感動しました。 私もここぞと思うところを決め、演台を一度だけたたきました。その時を思い出すごとに可笑しさがこみ上げてきます。
新学年度をスタートした学生に出会うごとに、「ガンバレ」とエールを送りたくなります。