「はい」
私の修室に少しばかり憂いを帯びたルネッサンス期の聖母子像がかかっています。この小さな絵は、私のイエスに向かう旅路の導き手です。私はイエスに青春と生涯のすべてを賭けました。イエスを膝に抱き、物問いたげな表情のマリアに親しみを感じ、朝な夕なこの絵の前で祈る時、心に平和を覚えます。
多くの音楽家、画家、詩人、彫刻家は好んで聖母子を彼らの作品のモチーフとしてきました。無数の傑作が世紀を越えて生まれ、人々を魅了し続けています。風薫る5月は聖母マリアに捧げられ、全世界のカトリック教徒はこぞって彼女を称え「アヴェマリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます…」と賛美します。
イスラエルの寒村、ナザレでまだ幼さが残る14,5歳のこの少女が歴史を一変させるほどの出来事を前にしています。天使ガブリエルが彼女に「あなたは身ごもり男の子を生むでしょう!」と告げたのですから。純真無垢な彼女のためらいや恐れを芸術家たちは自分流に表現しようとします。
マリアもまたイスラエルを救うメシアを待望していました。彼女はすべてを賭けて神の望みに「はい」と応えました。当時のユダヤ社会での女性の地位と歴史的背景を考える時、彼女の恐れは頂点に達していたに違いありません。それにもかかわらず彼女は「はい」と応えたのです。
21世紀の今も私たちは「はい」をいろいろな状況に直面し繰り返します。この言葉の意味を現代に生きる私たちはどれほどの重みをもって発しているでしょうか。 結婚の誓い、誓願、証言、公約、種々の約束その他……
彼女はその年齢では考えられないほどの思慮深さと神への信頼をもって「はい」と応え、自分に課したこの「はい」を生き抜きました。
聖マリアは私にとってかけがえのない存在であり鑑です。今日も一日、生かされていることに感謝しながら人々とのかかわりの中で誠実に歩みたいと思います。