くさび
くさび
1月の初め、眼科の診察のために、地下鉄東西線のプラットホームで電車を待っていました。プラットホームには人影もなく、電車が来るのにもまだ間がありそうでした。ふと私は、時間になったら電車が来るのは当然のことで、人が心を込めて運転しているお陰なのだということをほとんど忘れている自分に気づきました。他の人々の目に触れない多くの場で、心を込めて仕事をして下さる人々のお陰で、すべての人の生活が成り立っているのだと改めて感謝したのでした。
医院に着いて、待合室の書棚の子供の絵本の間に、相田みつをの詩集を見つけました。その中に思いがけなく、「くさびだから/ 一番大事な/ ところに打つ/ くさびだから/ みえないように/ うつ」という詩があり、朝の大切な気づきが「くさび」という具体的なイメージとして深く心に刻まれたように感じました。
「十字架は悔いへのくさびである/ 罪深くして悔いを完とうし得ぬ者への恵みである/ 何人でも仰ぎさえすれば救わるるという約束である/ キリストを見し者が信じたる福音である」という八木重吉の「十字架」という詩を思いだしました。決して解けない愛の絆で神様と結ばれるようにと、全ての人々が招かれていることを思いました。そして、「神がこの私をあるがままに受け入れて下さっているということを受け入れる勇気を持つことが信仰なのだ」というある司祭の言葉が心に浮かびました。