誕生日 Part 1
第二次世界大戦の最中、私は650gの嬰児としてこの世に生を受けました。
当時25歳の母と父の超緊張した姿が幾重にも連想されます。ぐったりした母のそばで助産婦代わりに、私のへその緒を切った父はどんな思いだったでしょうか。余命いくばくも無い私の命を放棄することなく最後まで信じ、私の魂に愛を注ぎ続けてくれた両親に感謝しないではいられません。
思えば戦中の田舎、しかも突然、家で生まれた私を途方も無く心細くそれでも若い夫婦の「この子を生かす」との真剣な姿が今はほほえましく思われます。生後2日目に洗礼を受けることになった私をせめて神様の御前に行かせたいとの切ない両親の願いを神様は聞き届けて下さったのでしょう。私はこの世へと確かに招き入れられ、少しずつ元気をいただき成長してゆきました。
ちょうど3歳の頃だったと思います。風邪がようやく治りかけた私は、うれしくて部屋の中をキャーキャー言いながら飛び回っていたようです。喜んでいた矢先、大きなやかんに躓き、熱湯を下半身に浴びました。私の子守を引き受けていた祖母の驚きと嘆きが今も目に浮かぶようです。少し元気になった私を、顔をほころばせながら見ていた祖母の悲鳴と言葉にならない苦悩。中学生の頃、体に似合わず大きなかばんを背負い登下校する私に、祖母はよく声をかけ、いつも心にかけていたことを鮮明に思い出します。
私の成長にまつわるエピソードの数々を知る近所のおじさん、おばさんは「あの子がこんなに大きくなったとは」と言い、成人した私を喜んでくれました。幼い頃より「命に呼ばれた者にはその人固有の使命がある」とこれまでかたく信じてきました。
神様、命を有難う!本当に有難う! 朝な夕な今も尚、素直にそうささやいています。