探しもの
探しもの
私の修道院から高野教会までの、歩いて20分ぐらいの距離の間に、最近、幼児の小さな靴の落し物が2箇所にありました。落とした人が見つけやすいように、目のつくところに置かれているようです。
何年も前、寝入ってしまった幼子を抱きかかえて、ひどく込みあったバスから降りたことがあります。やっと外に出たとき、言葉も十分でないその幼子が、まだ、しっかり目も覚まさないまま、「くつ」と言いました。見ると靴の片方がなくなっています。幸い何人かの人々の優しい心遣いがあったのでしょう。この小さな靴の片方はバス・ターミナルの忘れ物コーナで見つかって、幼子のもとに戻りました。
イエス様にも同じような体験があり、また、そのような出来事を見聞きなさったに違いありません。聖書には、見失った子羊を探し出す羊飼いの話、失った銀貨を見つけ出し、隣人と一緒に喜ぶ女性の話、放蕩息子の帰宅を手放しで喜び祝う父親のたとえ話をイエス様がなさったことが記されています。
愛のあるところに神様はおられます。日常の生活のできごとの中で、その神様に出会い、神様の望まれるように愛する者に変えられて行きたいと思います。