シャロームだより47-2
2.6月23日『沖縄慰霊の日』
沖縄戦は日本の領土内で唯一住民の生活の場で起こった戦争です。
連合軍の軍隊が沖縄本島に上陸した4月1日から、南西諸島の日本軍が連合軍に降伏した9月7日までを沖縄戦とすると、5ヶ月余りになります。『沖縄慰霊の日』は沖縄戦の組織的戦闘が終わった日だといわれますが、5ヶ月余りの期間の丁度折り返し点です。従って沖縄戦の前半は組織的戦闘、後半は組織的ではない戦闘ということになります。6月23日は牛島司令官と長参謀長が自決された日です。つまり日本軍は前半司令官の許で戦い、後半はそれぞれに少人数で逃げまどっていたことになります…
当時沖縄本島に住んでいた住民は約40万人、4月1日に沖縄本島に上陸した兵員は54万人でしたので。兵員数が住民数の1.5倍でした。沖縄戦の死者数は約20万人、その内住民が半分の10万人でした。つまり住民の4人に1人が戦死したことになります。これは沖縄戦の実態のごく一側面ですが、その悲惨ぶりには想像を絶するものがあります。
沖縄戦から75年の今年を、沖縄戦の不思議を問い直してみる時にしてはどうでしょうか。小さい沖縄本島で、住民がわずか40万人しかいないのに、連合軍はなぜ54万もの兵員を投入したのでしょう?沖縄戦は日本軍にとって、また連合軍にとってどのような意味のある戦いだったのでしょう。この学びを通して戦争の非人間性の再確認の機会になれば75周年の学びにふさわしいものになるのではないでしょうか。