歴史・創立者・霊性
歴史・創立者・霊性
「キリストの愛に促されて、私達は教育を志す奉仕によって使命を果たすことを選ぶ。私たちにとって教育とは、神の似姿に創られた一人一人の可能性を完全に開花させ、その賜物を、この世界を築き上げる方向に導くことである。マザーテレジアのように、私たちも、人が変われば世界も変わり得るとの確信を持って、教育にあたる。」(会憲22)
ノートルダム教育修道女会の創立者、後にイエスのマリアテレジアと呼ばれるようになる、キャロライン・ゲルハルディンガーは、1797年6月20日、ドイツのレーゲンスブルグからドナウ河をへだてたスタダムホフという町に生まれました。ドナウ河を上り下りする船の船主の一人娘で、信仰篤く働き者の両親に育てられ、聡明さと豊かな感受性を合わせ持っていました。また、時折父と一緒にドナウ河を下って、沿岸の町に交易にやって来るいろいろな国の人と接することで、広い視野も培われていました。6歳で家の近くのノートルダム律修参事会という修道会の経営する小学校に入学しました。この修道会が後のノートルダム教育修道女会の前身となるもので、遠く十六世紀末、フランスで創立され、200年ほどの間にヨーロッパ各地に広がり、優れた学校教育で知られていました。
ところが、十九世紀になってフランス革命や啓蒙思想、ナポレオン戦争の影響で、社会や教会も圧迫を受け、教会の財産は国家に没収され、修道会は解散させられ、修道院付きの学校も閉鎖せざるを得なくなってしまいまして。キャロラインの通っていた学校も同じ運命にあい、ノートルダム律修参事会は解散させられ、彼女はその学校の最後の生徒になります。
こうした社会情勢の中で、貧しい家庭の子供たち、女の子たちは基礎教育も受けられない状態で、精神的な荒廃は目に余るものとなりました。ゲルハルデインガー一家と親しく、後にレーゲンスブルグの司教となったウィットマン神父はこの状況を憂え、女子のキリスト教的教育によって家庭を、ひいては社会を建て直そうとして、先に解散させられた修道会の再興を考えはじめていました。そしてその夢をキャロラインに託し、キャロラインはこのウィットマン師の指導の下に1833年ノートルダム教育修道女会を創立しました。
彼女は神において全ての人が一つになることを望み、ユーカリストを土台とし、清貧をよりどころとして、この修道会をマリアに奉献しました。又さし迫った必要に応え、貧しい人を優先し、世界的視野をもって教育を行なおうとしました。当時の大修道院的なやり方とは異なり、貧しい町や村へも二人、三人と少人数の会員を派遣する形態をとったので、多くの困難はありましたが、会員は増え、ドイツをはじめヨーロッパ各地に学校、幼稚園、職業訓練校、障害者の施設、養護施設を建てるなど広い意味での教育活動がすすめられました。
貧しい人々へのマザーテレジアの心遣いは国境を越え、海を越えて広がりました。アメリカに渡ったドイツ移民の窮乏が伝えられ、子供たちの教育がなおざりにされているのを知ったマザーは、創立間もない1847年6月、4人の会員と共にアメリカへ旅立ちました。アメリカでも筆舌に尽くし難い苦労がありましたが、それを乗りこえ、この新しい地にもしっかり根をおろしました。