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待つ

シスターアン・ミリアム木村

昔、幼かったころ、帰りを待って母が用意してくれるおやつの中に、火鉢に網を載せて、その上で焼く「かきもち」がありました。大寒の季節に入るとお餅をついて、それを薄く切り、かわかします。それを網の上で焼くと、ぱりぱりした「おかき」になります。黒豆をいれたもの、甘く味をつけて、ピンクや黄色の色をつけたものなど、いろんな種類がありました。母と話をしながら網の上でそれが程よく焼けるまで待っています。もし、兄妹が多ければ、自分の番が来るまで待つのでしょう。焼きたてが美味しいのです。待っているものがすぐに手に入る、うれしいものでした。

誕生日の来るのを待ち、お正月を待ち、手紙の来るのを待ち、そして、私は戦争の終わるのも待ちました。夢を描き、計画を立て、思いを凝らし、その実現を願い、待っていることが必ず実現すると信じて、人は待ちます。日常の些細なことから始まって、自分自身のこと、共に生きる人々に関わること、愛する人たちのこと、社会のこと、国家のこと、私たちは様々な様相で待ち続けます。「待つ」ことはなんと能動的で、積極的なことでしょう。そして、なんという美しい生き方でしょう。たとえ時には「待たされる」という気分が起きたとしても、待つことは愛することだったのです。

イスラエルの民は何千年もの間、救い主の到来を待ち続けました。そうした民族的な、スケールの大きい待望の中に生を受けたナザレの乙女、ヨゼフのいいなづけであったマリアは天使のお告げを受けました。

旧約の時代から、新約の時代へと世界を転換させる始まりとなるために、マリア「待つ」人となりました。

神の御母聖マリアです。

教会は待降節にはいりました。私たちの「待つ」という人間的な行為が、聖化される季節です。神の御子、救い主イエス・キリストの降誕を待ち望む季節だからです。