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ネパール、
バンディプールでの教育

その始まりは・・・

地域の人々を集めて、幼児期の教育の大切さを説き、保育園を作るので子どもを送るよう励ます。

1970年代の本会の総会で、発展途上にある貧しい国の教育のため、各管区・地区は会員の5%を途上国に派遣することが決まりました。これを受けて日本では、当時招待を受けていたフィリピン、ネパール、ブラジルを検討した結果、国として最も貧しく、識字率が低かったネパールを選ぶことにしました。ネパールはヒンズー教国で、当時は憲法で改宗が禁じられていたので、フィリピン、ブラジルに比べてクリスチャンの人口が極端に少なかったことも、ネパールを選んだ理由の一つでした。

1985年5月1日、最初の入園式に集まった幼稚園児と保護者・教職員/背後の建物が最初の校舎

1983年7月、4人の会員が首都カトマンズに派遣されネパール語の勉強を始めました。
シスターズ・イヴァンジェラ今村、ミリアムテレーズ金谷、アンブローズ河瀨、ジャネット田中の4名でした。やがて、ネパール中部の山岳地帯にあるバンディプール村から「学校を始めてもらえないか」との要請を受けました。学校の運営を引き受けることは私たちのネパールミッションの本来の目的ではありませんでしたが、地元バンディプールの人々の熱心な願いと、ネパール教区長シャルマ神父の勧めを受けて、地元と教会と本会の協力のうちに学校を開く決断をしました。1985年5月1日、幼稚園から小学校5年までの初等教育を目指すノートルダム校が開設され、55名の幼稚園生が入園しました。民家を寄付してもらい、最初の校舎と修道院に当てました。

バンディプールの歴史を振り返ると、そこはかつて中国とインドを結ぶ交易の要所として栄えた村でしたが、やがて麓に中国の援助で国道ができると、交易路が変更され、山の上のバンディプールは人の出入りの少ない寂れた村になってしまいました。そこで、少しでもゆとりのある家族は商売のできる場所を求めてバンディプールを出て行き、村はゴーストタウンになりました。バンディプールにノートルダム校が始まったのは丁度そのような時期でした。

バンディプール、ノートルダム校の発展

背面から見た開校時の校舎/2階が教室・3階が修道院・1階は収納スペース

子どもたちが毎日楽しく学校に通う様子を見て入学希望者は増えて行きました。中には片道1時間以上もかけて山道を歩いて通う子どももいました。月謝を払えない子どもには、家庭状況に応じて奨学金を提供しました。校舎が手狭になり、近所の民家を借りて教室を増やす一方、段々畑を買って校舎を建て、運動場も作りました。これら全ての取り組みは、日本をはじめアメリカ、ヨーロッパなどからの多くのスポンサーの助けによって可能になったのです。ノートルダム校は当初初等教育を目指して始まりましたが、地元の要望に応えて10年生までの中学、高校,更には大学進学につながるプラス2(11年、12年)にまで広げられました。

ノートルダム校から地元の教育へ

貧しい家庭の子ども

ネパールの学校には落第制度があります。合格点が取れなければ、幼稚園生でも落第するのです。学校が始まって数年のうちに気づかされたことは、奨学金を受けている貧しい子どもたちに落第の率が高いということでした。貧しい家庭では通常大人が働きに出た後、幼い子どもは怪我や危険から守るために柱に括り付けられ、わずかの食物とともに一日放置されているのです。その結果立ち歩きもことばも遅れる結果になることが分かりました。

そこで幼児教育の専門家の指導を受け、村で一番貧しく、最下層のカーストの人々が住む地域に「セトグラス」という保育園を建てました。子どもたちはそこで歌や踊りを習い、先生や子ども同士の交わりで言葉を覚え、お母さんたちの協力で栄養ある給食をいただき、2~3年を過ごすうちに、驚くほど成長して行きました。当初は、ヒンズー教の習慣もあり、貧しくカーストの低い子どもたちの通う保育園に子どもを送ろうとしない家庭が多かったのですが、セトグラスに通う子どもたちの成長ぶりを見て、次第に地域外からもセトグラスに子どもを入れる家庭が増えてきました。

3人の少女

セトグラスの話は近隣の山村にも伝わり、見学に来る村人が増え、自分たちの村にもこのような教育の場を作りたいので助けてほしいとの要望も出てきました。村人が建物を提供し、お母さんたちが当番で給食をつくり、地元の女性の中から選ばれて研修を受けた人々が先生や助手になる、という方式で村の規模に応じた保育園が次々にできてきました。最近では、公立学校でも就学前教育に力を入れるようになり、年に数回行っている保育園の教員研修には、公立保育園からも教員の参加が見られます。

保育園の教員研修会に集まった先生たちに、自分の習ったことを誇らしげに教える子どもたち

貧しい家庭の子どもたちの学習が遅れがちになるもう一つの原因は、家庭に学習をする環境がないということです。一間だけで窓も電気もない家に家族が雑魚寝をする環境では宿題をすることもできません。それに加えて、子ども達は親の手伝いで宿題をする暇もないのです。そこで、地域にいくつかの部屋を借り、学習の助けをする先生を雇い、ノートルダム校の生徒に限らず、誰でも使える学習塾を始めました。学習塾はまた、近隣の村々にも広がっています。

保育園や学習塾の営みが、村の共同体づくりつながっていることも予期しなかったうれしい結果です。人々のカーストを超えた交わりも広がっています。

プラス2・12年生

50名余りの幼稚園生で始まり、創立35周年を迎えるノートルダム校は、800名を超える幼稚園から12年生までの学び舎になっています。卒業生はネパール国内ばかりでなく、世界各地で医師、弁護士、技師、ビジネスなどの分野でそれぞれに活躍し、後輩に希望を与えています。

40年前には空き家が目立ったバンディプールは、5年前の大地震からも徐々に立ち直り、今では観光客を惹きつける街並みになってきました。この35年間のノートルダム教育は、数多くの人々の国際的協力の賜物でした。ノートルダム校で優れた学業を身に着けた卒業生は、同時に苦しんでいる人々に手を差し伸べる価値観も身につけています。ノートルダム校の卒業生を通して、この価値観も引き継がれて行きますようにと心から願います。